SHOW-YA/「Showdown」:75p
深夜にふと尿意を催して、目が覚める。
飲兵衛老害あるあるなのは認めざるを得ないことだが、そうしてベッドからもそもそと起き出してトイレに向かってみたときのこと。
途中横切る思春期真っ盛りな子供らの部屋の中から、笑い声とともにYoutubeの音声が流れてくることが時折ある。
ったく、いい加減もう寝ろよ、夜中の2時過ぎだぞ!?
お前、明日も普通に学校だろうが。
ふとそう注意が喉まで出かかるも、しかしその後すぐさま、嗚呼そういう親父になってしまったかとため息を付いては、その声の代わりにトイレで溜まっていた小便を出し、そしてぼくはおとなしくまた布団に着くのだった。
ぼんやりとした眠気の中で、ふと思い出す。
そうだ、あいつらと同じ時分だった、あの頃。
インターネットもスマホもYoutubeもなかったぼくらの机の傍らには、深夜ラジオというものがあったのだ。
そしてお気に入りの深夜番組の翌日は、大概いつも寝不足だったっけ。
そう、あれは80年代の半ばも過ぎたあたりのことだ。
当時ぼくは木曜の深夜1:00から(当時名)ビートたけしがパーソナリティとして出ていた「オールナイトニッポン」を聴くのが週課だった。
そして番組の終盤、夜中3:00に近づくと、おっと明日も早いんだっけとさすがに布団にもぐっては、慌てて明日に備えまぶたを閉じる。
そんな木曜日の夜遅くをいつも送っていた。
ところで、この「オールナイトニッポン」という深夜ラジオ番組は、AM1:00~3:00までの一部と、AM3:00~5:00までの二部構成となっていた。
だからAM3:00に一部が終わった後には、今度は二部の「オールナイトニッポン」が続け様に始まり、別のパーソナリティへと番組をバトンタッチするのだった。
さてある木曜の晩の、番組終わりも目前の深夜3:00近くのことだ。
いつも通り、目を瞑りながら付けっぱなしにしていたラジオから流れてくる、しんみりしたたけしの番組エンディング。
と、その後。
AM3:00の時報とともに飛び出してきたのは、なんと威勢のいいヘヴィメタル・ナンバーではないか。
一体、どういうことか。
というのも実は、この木曜二部のパーソナリティが、先日、前任の女性ポップソングシンガーから新たにチェンジしたというのだという。
かくしてその新しい担当となったパーソナリティは、寺田恵子なる当時新進気鋭の女性ロックシンガーだった。
最初は何だかよく判らなかったけれど、よくよく聞いてみれば、判ってきたことが幾つかあった。
まず1つ目は、何でも彼女の本職は、デビューしてまだ間もないSHOW-YAというレディースバンドのシンガーらしいということ。
そして2つ目は、どうやらこの寺田恵子というミュージシャンは、当時ぼくも覚えたてだったヘヴィメタルという音楽が好きらしいということだ。
そうして寺田恵子というこのメタル・パーソナリティは、あの頃の歌謡曲以外原則オンエア禁止、ましてやメタルはご法度ムードだったマスメディアの中で、ビートたけしという昭和芸能界の大物のすぐ後枠にも構わず、しかも時折たけしにすらも「よく判らんロックばかり流してる変な女」扱いをされながらも、深夜ラジオというマニアックな時間帯を利用して、マイペースでそんなヘヴィメタルを流しては(註釈1)、ロックにまみれた二時間のヘビメタ・ラジオを送っていくのであった。
…んだと思う。
というのもぼくは当時、朝の5:00まで聴くことは出来ず、せいぜい最初の30分くらいが許された視聴時間だったのだ。
だからすまん、あとは勝手なぼくの想像だ。
だけど、思い起こせばぼくのSHOW-YA、そして寺田恵子というロックシンガーとの出会いというのは、そんな木曜深夜に流れていた夜中3時のヘビメタ・ラジオだった。
しかもこれは、まだ彼女らが”限界LOVERS“や”私は嵐“などでブレイクもしていなかった、それから数年ほど前の、今から35年近くも前の昔話だ。
おっと、いい加減、話を現代に、そして本作に戻すとしよう。
バンド、通算12作目。
この2021年に届けられた、ゼロ年代の復活から数えて4作目となる、SHOW-YAにとってのフルレンスがこのアルバムだ。
珍しいことに、歌詞はすべて英語となっている。
元々がドメスティックな「歌謡メタル」的音楽性にあった彼女らにしては初めてのことであり、それもあってか、いささか外向きな気概が強い感もしないでもない。
聞くところによれば、このグローバル時代にどうやら彼女らもまた世界戦を視野に目論んでのことのようで、そこからもチャレンジャブルな意気が伝わってくる。
そしてその音楽性は、かなり強めなヘヴィメタル志向。
勿論ながら彼女ららしい歌謡ハードロック・テイストを残してはいるが、しかしそうはいえど、いつも以上なくらいにはヘヴィメタリックな路線を露わにしている。
なにせM3には”Heavy Metal Feminity“なんて曲もあるくらいだ(ここでは、かのドロ・ペッシュがゲスト参加している)。
尤もこの曲自体はそこまでメタリックなタッチではないけれど、しかしその代わりにRAINBOWばりに様式美風味のシンセサイザーが心地よく走る名ファストチューンM7″Thunder“などがその志向を訴えているだろう。
さて、その内容の総評なのだが、なるほど、決して悪くはない作品だ。
ほどよくモダンに仕立ててありつつも、しかし男勝りにハードロッキン、だけどそこに女性らしいエモーションをも1~2匙程というSHOW-YA流ロックが貫かれており、そこに何の文句のつけようもない。
いや、確かにないのだが、ただし正直なことを言えば些か地味というか、インパクトはそこまで抜きん出て強くはない。
例えば久々にいきなり聴いた往年のリスナーが、その方向性には頷きつつも、そこにかつての脂が乗っていた全盛期のド名盤「Glamour」や「Outerlimits」ほどの強力なパンチを期待してしまうと、やもすれば肩透かしをくらいかねないだろう。
いや、それでも近年作にしちゃ悪くないほうだとも思うのだけど、だとしたって客観的に見て、そのくらいには往年の勢いやハリやノリが明らかに見劣りするくらい、年の分だけ経年劣化して剥げ削げている。
楽曲の弱さ、それも要因として確かにあるか。
若手ギタリストを起用して作曲をしているようだが、それはそうとしたって、せめてあと数曲、そしてもう数歩くらいはぐっと踏み込んで、みぞおちにズドンと響くナンバーが欲しいところ。
じゃないと、せっかくハスキーかつパワフルな不敵さの上に色艶がのってきている寺田恵子の達者な歌が勿体ない。
とはいえ、その一方で今これをやるかという感服を覚えるのも、また事実でもある。
何せデビューから35年の年月を経て、一旦は解散して終わったバンドが、しかも80年代の、昭和の、歌謡ロック時代の国内レディースバンドがこうやって新作を作り、ロックを演って、しかもヘヴィメタルに向かい合っているのだ。
まずはこれが凄い。
その事実が、凄い。
まったくもって凄い、おばちゃんバンドだ。
そしてこれが出来る80年代の、昭和の、歌謡ロック時代の国内レディースバンドは、彼女ら、SHOW-YAしか存在しないだろう。
そんなオンリーワンの存在感が、このアルバムには佇んでいる。
ところで本作のラスト(M12)を飾るのは、この曲。
かの懐かしき代表曲”私は嵐“のリメイクだ。
思えば、あの全盛期から、30年以上。
あのオールナイトニッポン、あの木曜深夜3時から、35年だ。
あのたけしの後のヘビメタ・ラジオから35年経って、あの頃ANTHRAX(註釈2)なんかを流していた昭和歌謡ロック界のヘビメタ・パーソナリティは、こうして今またヘヴィメタルを、ロックを歌っている。
やれ私は嵐だ、私は炎だ、もう一度燃え上がれと、いい年をこいたおばちゃん達が、世界にむけて初めての英語で情念むき出しで、歌ってみせている。
すっげえ気合の入った、かっけーおばちゃん達だな。
全く、かなわないな。
さすがかつて深夜3時から、初代レディース・メタルバンドの看板しょって、歌謡の前線でヘビメタやっていただけのことはある。
こりゃぼくもしょぼくれ酔っ払って小便で夜中に起きている場合じゃねえぞ。
そう。
そんな、SHOW-YAというかつてのヘビメタ・ラジオが鳴らす35年後のロックを前に、ぼくもまたいたく反省させられるのだった。
※註釈1:そのヘビメタ・ラジオの構成作家がキャプテン和田氏だったことを知るのは、随分と後になってのことであった。
※註釈2:全くの個人的な話でしかないのだが、当時まどろみながら聞いていたこの彼女の深夜放送で流された”AIR“に、なんだこれはメチャクチャカッコイイ!と跳ね起きてラジオにかぶりついたのが、思えばANTHRAXとの出会いであった。
そんな80年代メタルちょっといい話。
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