BEARTOOTH/「Below」:85p
激しくて、ポップ。
いつだって、そして今だって、そんなメタルが一番正しいに決まっている。
何故ならば、いつの時代だってメタルは最初からずっと「激しくて、ポップ」だったし、そういうものだったからだ。
これはメタル、いやヘヴィメタルと言ってしまっても全然いいが、それらにおける最早れっきとした揺るがざる真実であり、また何よりもその本質であるからして、これに反論することはそもそもからして無理のあることだろう。
ロックの本来的な激烈性、ロックのロックたる所以としての、ハードネス、ヘヴィネス。
そしてポピュラー音楽、ポップミュージックとしての大衆的を支えている、キャッチーさ、ポップネス。
つまりは相反する、普遍性(ポップ)と非普遍性(激しさ)。
それらをともに備え、ともに磨き、ともに突き詰め、ともに訴えてきたからこそ、メタルはメタルたらしめてここにまで至っているのである。
そこに何一つ例外は存在しないし、する由もない。
メタルとはそもそも「そういうもの」として始まり、分岐と細分化と多様化を進めながらも、広く「メタル」という意に含有されるものはすべからく、その「激しくて、ポップ」であるが故にそうされているのである。
あとはそのバランス問題でしかない。
だから例えば。
JUDAS PRIEST、IRON MAIDEN、METALLICA、MOTLEY CRUE、AEROSMITH、SLAYER、PANTERA、GUNS N’ ROSES、インギーなどはおろか、NIRVANAもオフスプもレイジもKORNもレッチリもSLIPKNOTもBMTHもCARCASSもナパデもMAYHEMもあれもこれもどれも、みーんな!
それこそ広い意味で「メタル」と呼ばれそうなものまでをも一切合切ひっくるめて、広義におけるメタルは、どれもこれも何ら例外なく、「激しくて、ポップ」なのだ。
だからみんなメタルが好きなのだ。
「激しくて、ポップ」だからこそ、メタルはいつの時代だってカッコいいのだ。
元ATTACK ATTACK!のフロントマン、ケイリブ・ショーモがそのバンド後に結成したメタルコアバンド、BEARTOOTH。
この本作は彼らにとって、4作目となるフルレンスだ。
2018年の前3rd「Disease」がなかなかのヒット作として頭角を現してきた彼らにとってそこに続く本アルバムは、ある意味で勝負作ともなるだろう。
そしてその勝負カードにおいて、一切ヤワに日和ることなくがっつりと硬質の攻撃性を前面にして切ってくる姿勢、まずはいたく気に入った。
勿論これまでもメタリックなエッジとヘヴィネスを失うことないロックを標榜してきた彼らであるが、ここにきてよりダークかつよりソリッドな方向性へと激成。
結果、従来随一の刺々しいアグレッシブなサウンドをアルバムに躍動させているのが特徴的だ。
何せのっけから雄々しき咆哮に劈く絶叫スクリームに、けたましき高圧ブラストビートとストロングなビートダウン。
そしてあぎと鋭く刻まれる、鋼色のリフワーク…。
そんな現代メタルのいなたき剛性とパワフルな躍動感をベースにしながらも、しかし一方ではメロディックなサビメロのインパクト、歌としての存在感をもより際立たせてきているのも見逃せない。
ここにおいて特筆すべきは、やはりケイリブのコンポーザーとしての優れた力量だ。
どの楽曲にもフックのある歌としての聴かせどころを設けながら、程よいバラエティとカラフルさでまとめ上げてみせている。
だからコンパクトながらも粒揃いで、ヒットポテンシャリティも申し分ない。
またM2″Devastation“やM3”The Past Is Dead“のようなアンセミックチューンの際立ちも、その秀逸さあってのものだろう。
即ち。獣性と、柔性。
強烈なインテンスと、高いポピュラリティ。
それらをともに強化させての本作は、それがゆえによりスケール感とメジャー性を高めながら、しかし彼らの音楽性をより訴求力のあるものに押し上げることに成功している。
つまり、「激しくて、ポップ」というメタルの圧倒的正しさを、正義を貫徹している。
そうだ。
メタルは、これが正解だ。
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