GOO GOO DOLLS/「Miracle Pill」(2019)
(このレビューは2020年1月14日にFacebookに書いたものです)
体に無理が効かなくなってきてから、だろうか。
年を食ったなあ、としみじみ実感することが、このところ殊更に増えてきた。
…などとのっけから個人的な話で申し訳ないようにも思うのだけど、大丈夫。
だって、これを読んでいるような高年齢層の諸君もまた、さほど間もなく(あるいは現在進行形で)我が身のこととして実感、体感、同感が出来る話だからだ。
そして。
そんな中、遂にぼくは、驚くべき、恐るべき真実に、遂に触れてしまった。
驚くべきことだが、そして恐ろしいことなのだが、なんと。
人は、おっさんが最後ではなかったのだ。
驚くなかれ。おっさんの次のステージには、ジジイというものがあったのだ。
この衝撃的な事実は、ぼくにとってここ数年で最大の発見だと言っていい。
そう。おっさんの最終形態、いやむしろ、ネクストレベル。それが、ジジイ。
そのステージを迎え入れるのには、ぼくにはまだもう少しだけ時間が欲しいところだと思っているのだが、果て実際はどうなんだろうか。
閑話休題。
そういや去年。ふと気が付いたら、GOO GOO DOLLSの新作がさりげなく世に出ていた。
そう、知らない間に。
いや、知らないのは単なるぼくの怠慢でしかない。
なので実際、さりげなかったのかどうかもすら怪しいところだ。
と、かくも毎度毎度、情報チェック力がユルいのは、これは体型同様おっさんの標準仕様だ、デフォルトだ。お許しいただきたい。
いずれにしても。前作「Boxes」から、経つこと三年。
彼らのスタジオフルレンスが出ていた。年をまたいで、その事実を知った。
て、え、もうあれからそんななんの?と思わず声が出そうになるところだが、時間経過感覚も加えてユルいのも、これまた体型同様おっさんの標準仕様であることはさて置くとして。
どうやら彼等も、アルバムを重ねに重ねて、早これで通算13枚目であるという。
スタジオフルレンスで13枚、といったらそれなりのもんだ。それなりの道だ。それなりの積み重ねだ。
思えば、かつて「グーという名の少年」が世に出たのが、1995年のこと。
ということは、あのアルバムから早くも今年2020年で25年も経つことになる、ということだ。
マジかよ。
あれからもう、25年、だってよ。感慨のあまり、開いた口が塞がらない。
だって、25年、である。
生まれたばかりの子だって、いい青年になるほどの時間の流れである。
いい青年だって、いいおっさんになるほどの時間の流れである。
その圧倒的な事実。圧倒的な数字の力。圧倒的な年月の重み。何たることか。
その間に、あの、かつてのグーという名の少年は、その間に少年から青年になり、そしてその間に青年からおっさんになってしまった。
つまりは本作はそんな、グーという名のおっさんの今が込められたアルバムだ。
そう、なのだ。
GOO GOO DOLLS、というロック。
GOO GOO DOLLS、という、いいロック。
つまりは、いい曲、いい歌、いいロック。
そんな普遍的なアメリカンロックの真っ当さを、これまで三十年以上もやり続けてきた、グーという名のおっさんがここにある。
正直いえば、ハリとツヤが落ちてきた。
ユルくなった。
ぶっちゃけそう思わないでもないのだが、まあでもさっきから言っているように、ユルいのはこれはおっさんの体型同様の標準仕様なのだ、そこは多少くらいどうぞ大目に見てあげて欲しい。同じユルいおっさんからの、ささやかでユルやかなお願いだ。
そして相変わらず、フツーにいい曲を書かせたら右に出るものがいない。
この、フツーにいい曲っぷりこそが、彼等の真骨頂であるのはよもや言うに及ぶまい。
反面、ガツンと身を心を胸をもってかれるようなキラーチューンがあまり見当たらないのはちと寂しいが、しかし。
その分を補い漲る、ゆったりと身を任せていられるような、そんな安心感や包容力。それは若造にはない、おっさんにこそ許された特権だ。
ホラ見ろ、ユルさにだってちょっとくらいはいいところだってあるじゃないか!と、おっさんなのでそうムキに指ささずにはいられない。
だからどの曲にも、どんなモダンタッチを施しても、そこに成熟の旨みと味わいの深みが宿っている。
それがいい。それが心地いい。
それこそが、今のGOO GOO DOLLS、という、いいロックのいいところだ。
人形(Dolls)ならぬ生身の人は、皆、例外なく歳を取る。
かつて純粋無垢だった少年だって、そりゃあ25年も生きていけば、その間に毛も生えて、やもすれば毛も抜けて、酸いも甘いも嗅ぎ分けた、むしろ加齢臭すら嗅がせるような、そんな立派な大人になる。
生きる、とはそう言うものだ。
そして、やがてそのうちに。
人は必ず、ジジイになることを躊躇するような、そんなおっさんになるのである。
他ならぬおっさんのぼくが、今、かくも身をもって味わっているように。
そして呑気に構えている諸君らも、間もなく身をもって味わうであろうかのように。
なぜなら、あの「グーという名の少年」の25年後の今が、これであるかのように。
これはそんな、かつて25年前はかの少年同様に若々しかったぼくらに贈られる、グーという名のおっさんの今のロックだ。
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