言わなくても判るだろう、なんて間違いだ。
人と人とは、言葉として、伝えなくちゃ伝わらないことばかりなんだ。
だからぼくは言うよ。
もしかしたら判っているかもしれないけど、それでも今、君に、言葉としてぼくは伝えるよ。
「クソあちいんだよ!!」
そんな灼熱サマーな土曜朝の、休日恒例ヴァイナルカフェ。
暑中やはーやわっちゅーりー、だりぃ今日の暑さはパーネー。
BON JOVI/「Slippery When Wet」(1986)
はい出ました、ベタネタ。
BON JOVIと言ったら、個人的には最高傑作「These Days」論が揺るがざること山の如しなんすけど、次といえばこれだろう。
彼等最大の出世作にして、文句なしの代表作品だ。
え、New Jersey?新しいジャージがどうしたの?
で、「Slippery When Wet」だ。
まずアルバムタイトルから、才気走ってる。
濡れてる?スベり入れちゃうよぉゲヘヘヘつっておっぱいジャケを選ぶセンスの、この田舎の土方のオヤジ並みな上品な気品に満ちた鋭さが、やべえ。
しょうがないよニュージャージだもの、パリピ大国アメリカだもの。
そんな、スベりっぷりWhen Wet。
でも内容は最高だ。
“Let It Rock”から始まって、”You Give Love A Bad Name”に”Livin’ On A Prayer”のデスモンド曲タッグを経て”Wanted Dead Or Alive”と、ヒット曲でかためられたA面の充実ぶりは神がかり的とすら言えるだろう。
“Wanted Dead Or Alive”なんて、I’m a Cowboy~ときたものだ。
「オレはカウボーイだぜ!」
この頃のジョンのセンス、マジで、やべえ。
北欧の豚貴族な俺様同様、「それがどうした」とブルース・ディッキンソンに言われるくらいのハイセンスだ。
一方B面は、これまたいんだけど、ちょっと恥ずかしい。
僕たちはロミオとジュリエットだ、君と生きて、そしてだいふぉーゆー。
でも濡れて滑ったらおっぱいだいふぉーゆー。
そんなぼくらの甘酸っパイ、青春おっパイ街道ワイルドインザストリーツなのだけど、まあ与太話はここらにして以降、真面目な話を。
題して、「ビジネスで使えるBON JOVI」だ。
さて。
デビュー当初は先陣LAメタル勢、RATTやMOTLEY CRUEなどに出遅れた感があったBON JOVIが、何故このアルバムで一躍スターダムに登り上がったのか。
それには、幾つかの戦略的な勝因があった。
そしてその後、この必勝パターンを多くのHM/HRバンドが採用していくことで、80年代のアメリカをメイン市場としたHM/HRムーブメントが巨大化していく。
それでは、ここでのBON JOVIのマーケティング戦略とは何だったのか。
それは、ズバリ、次の三点だ。
そしてこれらは皆、「従来の常識的手法ではなかった」というのがポイントになる。
ではそのマーケティング戦略とは一体は何か。
出来るビジネス系Youtuberっぽく、3つあげてみる。
- 外部ソングライターの起用
- MTVを利用したエンターテインメントロックのイメージ戦略
- ポップでキャッチーな大衆歌モノロック路線
まず、外部ソングライターの起用だ。
というのもこれまでのHM/HRでは、外部ソングライターに作曲を依頼することはほとんどなかった。
アイドルポップスじゃあるまいし、自分で作った曲を自分で演奏する。それがロックバンドだというか、そんな雰囲気が当たり前だった。
ところがこれによってBON JOVIは、そんな従来までのHM/HR界の常識を覆した。
結果、起用されたデスモンド・チャイルドという一流の腕っこきは、バンド従来の楽曲レンジを広げるとともに、彼等の持っていたポップネスにさらなるメジャー感と派手なきらめきを加えることに成功する。
かくして仕上がった彼との共作による”You Give Love A Bad Name”、”Livin’ On A Prayer”が見事、大ヒットし全米チャート1位を獲得。
つまり、常識からの脱却一点目「売れる曲を書くために、従来にはない手法(外注)を取った」。
そしてこれをきっかけに、HM/HR界においても売れたいバンドに外部ライターの起用が広がっていく。
二点目。
「MTVを利用したエンターテインメントロックのイメージ戦略」
つまり、ビジュアル性に長けたビデオクリップを製作し、MTVという当時隆盛を誇っていたメディアを最大活用した。
というのもそもそもこのアルバム、そして彼等の大ヒットのきっかけは、何といっても、“You Give Love A Bad Name”のビデオクリップから始まった。
彼等はここで、どっかーんと派手に始まり、ゴージャスにキラキラと輝くような、まさにザ・80年代アメリカーンな一大エンターテインメントロックのイメージを、見事に訴えた。
こんなに派手でゴージャスなエンターテインメントロックイメージは、これまでのHM/HRの常識にはそうそう見られないものであり、そのインパクト、BON JOVIのライブやべえかっけーっ!というビジュアル戦略が、彼等の人気を決定づけるきっかけとなった。
つまり、常識からの脱却二点目「派手でカッコイイ”イメージ戦略”を、トレンドのメディアを用いて訴えた」。
そして、三つめ。
「ポップでキャッチーな大衆歌モノロック路線」
何より重要なのは、こうした戦略のもとで作られた音楽性が、これまでのHM/HRよりも遙かにポップ性、キャッチーさに比重を置き、磨かれたものだったということだ。
つまり、アグレッシヴなハードロックに、そのダイナミックさや躍動感という魅力をそのままに、反面ハード性を少し抑えて、その分ゴージャスでキラキラしたポップ性を加え、誰にも判りやすくカッコイイ!と楽しめる大衆歌モノロック路線を徹底して推し進めた。
やはり、そのダイレクトな導入者は外部ソングライター、デスモンド・チャイルド。
”Livin’ On A Prayer”なんか、まさにそれそのものだろう。
それを考えれば彼こそがメタルにキラキラメロディックをもたらした、ともいえるかもしれないが、とはいえバンドがもっていた元からのキャッチーさとその相性がすこぶる良かったというのも大きかったことは間違いない。
その結果、BON JOVIはこの時点で従来的なLAメタルバンドを越えた、もっと幅広い層を狙えるロックバンドになった。
つまり、常識からの脱却三点目、「これまでにないほど判りやすいポピュラー性を音楽性とした」。
更にもう一つ加えて言うなら。
そんな戦略を決定的にしたブレインが、プロデューサーとしてここで新たに起用された敏腕ブルース・フェアバーンかの人。
この要因も、恐らくは大きかったのだと思う。
つまり、「それらの戦略を仕掛けられる腕利きを制作ブレインに選んだ」ということ。
とまあ、本作が彼等に大出世をもたらし、希代のヒット作になったのは、(彼等が意識したかどうかはともかく、結果的に)こうしたこれまでの常識に囚われない画期的な戦略性が下支えをしたからに他ならない。
まとめると、
- まず、「売れる曲を書くために、従来にはない手法(外注)を取った」
- そしてその曲を売るため、今までにない「派手でカッコイイ”イメージ戦略”を、トレンドのメディアを用いて訴えた」
- しかも「これまでにないほど判りやすいポピュラー性を音楽性とした」
- おまけ:そして「それらを仕掛けられる腕利きを制作ブレインに選んだ」
とまあ、これらの「常識を脱却した戦略」によって、だからBON JOVIは常識を越えたレベルのロックヒーローとして売れるべくしてトップに躍り出ることが出来た、というわけで。
で、そんな余りに優れたマーケティング戦略の産物が、この常識を脱却した巨乳だった、というわけだ。お後がよろしいようで。
- アーティスト名:BON JOVI
- 出身:アメリカ
- 作品名:「Slippery When Wet」
- リリース:1986年
- HARD ROCK, LA METAL
よって、そのほとんどが70~80年代の古いものばかり。
尤も音楽批評というかしこまったものよりは、大概がただの独り言程度のたわいない呟きなので、ゆるーく本気にせず(笑)読んでいただければ幸いです。