ヘイローウ、ベーイブ。
よく晴れた土曜日、部活の娘ちゃんと仕事の嫁さんを送り出し、息子は起きてくる気配もない。
軽めに家事をこなして、まずはここから休日恒例ヴァイナルカフェ。
そしてどうやらイカれたらしく、スピーカーからノイズを垂れ流し始めたうちのアンプ。そろそろ限界か。
10年もすると、壊れていくんだぜ色々なものが、な…。
VAN HALEN/「5150」(1986)
今と違って、80年代という時代には「アメリカ」というものに対する憧れの感情が、まだまだこの日本社会には根強く残っていたものだ。
いわゆる、舶来品。
欧米の舶来のものは、優れていておしゃれでカッコイイ。
そういう価値観が強い時代だった。
映画。音楽。洋服。文化。
事実、その当時のカッコイイものは、みんなアメリカに根ざしたものだったし、その中でもとくにロックというものは殊更にその傾向が強いものだった。
洋楽。
かつてそう呼ばれたものは、「日本じゃないカッコ良さ」という意味を、今とは比にならないまでに含んだ存在だった。
更に正直に言うならば、周りの連中が聞いているような、ダサい歌謡曲や低能なアイドルなどではない、もっとクールでハイセンスな趣味である、向こうの音楽。
故に、「洋楽」。
勿論それが正しいなんて、今じゃ当然思わない。
しかし少なくとも当時、「洋楽」をめぐる感性にそんなスノビズムが全くなかったなんてことが嘘であることは皆が知っていることだろうし、「洋楽」なるものが、そんな「向こう側に行けるぼく」という強烈な自意識が含まれるものだったことを否定出来る人も、誰一人としていなかっただろう。
そして、その「向こう側」とは、洋楽の「洋」とは、他ならぬ「アメリカ」のことだった。
イギリスだろ、という声もあるだろう。
でも、やっぱりそこにはアメリカがまずあって、でその更に先にあるのがイギリスだった。
ぼくらのこの日本という国は、やっぱりそういう国であり、そういう社会だったのだ。
そしてそんな80年代の日本で、例外にこぼれず、ぼくもまたアメリカという「向こう側」に憧れて、ロックに、洋楽に、夢中になっていった。
そんな中、1986年のこと。
当時聞いていたFMラジオから、ある曲が流れてきたのである。
おっと、FMラジオというのは、あの頃は洋楽好きにとっては重要な情報源であり、また同時に「それを聞いているアンテナの鋭いぼく」という、カブレにとっての自意識差別化アイテムでもあったのだ。
さて、ラジオから流れてきたのは、えらい勢いのあるエナジェティックな音楽だった。
ヘイロー、ベーイブ。
そんなシンガーの呼び声からスタートするその音楽は、ビートけたましくドライブし、そして激しさと同時にアメリカをも体現していた。
少なくとも、その当時のぼくには、そう聞こえていた。
よくわからないけれど、激しくてクールだ。
よくわからないけれど、イカしてる。
よくわからないけれど、何を歌っているかわからないけど、ここではないものを歌っている。
ここではないアメリカを、歌っている。
向こう側を、歌っている。
だから、だからこそ、歌っていることがよくわからないのだ。
歌っていることがわかるものばかり聴いているこっち側の連中と違う、これが「向こう側」だ。
思春期真っ只中、親なんて、大人なんて、学校なんて、先生なんて、勉強なんて、クソくらえ。
周囲のダサいバカどもと俺は違うんだ。
そんなコピペかテンプレみたいな昭和価値観の量産童貞は、ヤンキーしかいない北関東の田舎で、そんなものを壊してくれるような破壊的な音楽と、それが歌っている「向こう側」に胸を焼かれた。
まるでそれを聴くことで、それをまとうことで、ぼくも激しく強くなれて、オシャレでかっこよくなれて、「向こう側」にいくことができる。
そんな気すら、感じていた。
やがてその曲を歌い演奏しているのがVAN HALENという、アメリカの、向こう側のロックそのもののような存在であることを知る。
そして新たに迎えたボーカルとともに、彼等はこのアルバムで念願の全米チャート1位を獲得することになる。
が、しかし。
間もなくするとぼくの興味は、彼等ではなくもっと違うものに移ってしまうのだった。
ヘヴィメタル。
ハードコアパンク。
スラッシュメタル。
更なる向こう側の刺激を求めたぼくにとって、それはあまつさえ陳腐なものにすら、映るようになってしまったのだ。
全米1位ですかあ、おめでとうござます。(棒)
そういうのは周囲のダサいバカどもが聴いてればいいんじゃないですか?(棒)
売れてよかったですね。(棒)
コピペかテンプレみたいな昭和価値観の量産童貞は、ヤンキーしかいない北関東の田舎で、クソ生意気にもそんなことを密かに思うようになっていたのだ。
イキったガキの所業以外の何者でもないが、それでも、よくある話だ。
「向こう側」に憧れていたぼくに、ハードロックを、メタルを、アメリカを、「向こう側」への扉を開けてくれた、VAN HALEN。
結局、彼らはぼくのヒーローになることはなかったのだけれど、それでもやはり。
このアルバムを聴く時には、そして特にこの1曲目に収録されている”Good Enough”を聴く時には、いつもふと思い出す。
ヘイロー、ベーイブ。
サミー・ヘイガーのその一声は、その呼び声は、あの日のぼくにとって間違いなく「向こう側」からのものだったのだな、と。
…とね、そんなわけで、MAMMOTH WVH新作に絡めて、今日はVAN HALENの「5150」をピックアップしてみました。
世代、だろねえ。
だって、ぼくがROCK、というものをまともに聴き出した頃にはもうダイアモンドデイヴは顔を塗ってしゃべるギターと謎の会話をしていたし、一方でVAN HALENという連中はアメリカンロックの帝王としてFMラジオから鳴りまくり、そしてぼくははこのアルバムのどこが一体ポップ化の産物なのか、全く判らなかった。
正直、その後もそんなに判ってないまんま時は流れ(ていうかそれ程実際に変わってない)、いつのまにやらぼくも結構な歳を食って、そしてエディは遂にこの世を去っていってしまった。
田舎道の通学路をチャリンコこぎながらイヤホンしてウォークマンに入れた46分カセットテープで聴いた、あの日の「向こう側」よ、
あの日の”Good Enough“よ、永遠に。
ヘイローウ、ベーイブ。
※次週のヴァイナルカフェ(ACCEPT/「Hungry Years」↓)と併せてお読み頂くと、よりエモさが増すのでオススメです(笑)。
- アーティスト名:VAN HALEN
- 出身:US
- 作品名:「5150」
- リリース:1986年
- ジャンル:HARD ROCK、AMERICAN HARD ROCK、AMERICAN ROCK、80’s ROCK、
よって、そのほとんどが70~80年代の古いものばかり。
尤も音楽批評というかしこまったものよりは、大概がただの独り言程度のたわいない呟きなので、ゆるーく本気にせず(笑)読んでいただければ幸いです。