すんげえ今更の話題で恐縮なんだが、「よつばと!」の最新刊である15巻が、知らない間に発売されていた。
しかも発売されたのは、もうとっくに前。
その実2月下旬頃のことだというのだから、いやはや、幾らコロナ禍で本屋さんのチェックが甘くなっていたとはいえ、我ながら余りに情弱の度合いがひどすぎる。
にしてもこの「よつばと!」、単行本発売はなんと前巻から三年ぶりだという。
やもすればもう出ないのでは、ひょっとしたらこれで終わりなのでは、とすら思いかけていたのだが、とまれ新刊が出て安心した。

それと、これを買った本屋さんのポップ(↑)を見て「もうそんなになるのか」と驚いたものだが、この「よつばと!」も、スタートしてから早くも18年が経つという。
よつばがもし実際に歳を取っていたとするなら、既にもうとっくに成人を迎えている年月だ。
個人的な話ですまないが、実際のところ、1巻を読んだときにはまだ生まれていなかったぼくの娘ちゃんも、いつの間にかよつばの時期を終え、恵那すらも追い抜き、風香に迫るまでに育ってしまった。
(しまったわけでもないが)
そのうちあさぎにすら追いつき、そして追い越してしまいかねないのだから、全く時間の流れというのは容赦のないものだ。
と、それはさておいて。
今回の15巻もまたよつばを中心に、思わずクスリとさせられたり、ホロリと胸にくるくだりが幾つか仕掛けられており、読み応えがある。
その中でも注目すべきは、おっとネタバレは避けるが、よつばが○○を○○する姿を○○するシーン。
そこが本巻最大となる、一番の読みどころだ。
最初に読んだときは、ちょいとお酒も入っていたせいか、思わず目頭が熱くなってしまった。
いや、とうちゃんは、まだいい。
でも、そこでよつばにあんなことを言わせるなや、反則やろ。
ったく、同じ娘持ちのオヤジに、こんなん読ませちゃあかんがな…。
さて。
ここから少々、深堀りをしていこう。
何年か前にどこかで書いたことがあるのだが、そもそも「よつばと!」の本質とは、「子を見守る大人のまなざし」だ。
「よつばと!」に描かれているものは、そんな温かなまなざしであり、ぼくらはそれをよつばというキャラクターの行動を追うことで体感している。
ということは、言い方を変えればよつばを構成している要素とは、そんな大人のまなざしそのものであると言ってもいい。
少し意地悪く言うならば。
よつばというキャラクターは、その「大人のまなざし」という、優しいが故に強力な愛ゆえの暴力性(強制力、と言ったほうが適切だろうか)により縛られ閉じ込められている存在だ。
で、ここから15巻の話に入るとしよう。
以降はほんの少々だが、ネタバレを織り込むので覚悟されたし。
(つっても大した程度でもないのだが)
さあ、そんなまなざしの中に、本巻ではなんとよつばの成長が描かれている。
先に伏せ字で示した、ランドセルを背負うよつばに、とうちゃんが涙ぐむシーンだ。
あんな小さなよつばが、大きくなったものだ。
父性なんて考えもしなかったのに、いつの間にか立派な父親になったものだ。
そんな感慨にとうちゃんが、思わず涙するシーンだ。
これは感動的であると同時に、実は「よつばと!」における、殊更にも重要なシーンでもある。
というのも、よつばというキャラクターにここまで「成長」がダイレクトに描かれることは、この作品で初めてのことだからだ。
これは「よつばと!」における、非常に珍しい事象だと言って、いい。
先に触れた、「よつばというキャラクター」を構成する「子を見守る大人のまなざし」が、どうして暴力的なものなのか。
それは、「よつばというキャラクター」から強制的に「成長」を奪う存在だからだ。
つまりは「子を見守る大人のまなざし」とは、「よつばというキャラクター」から時間を奪い、「成長」を奪うことで存在を成立させている。
じゃなければ、冒頭に言ったように、もうよつばはとっくに成人となり、とうちゃんから離れているだろう。
つまるところ、「よつばと!」という物語は、愛から生じる温かで優しい「子を見守る大人のまなざし」のその強力な暴力性により、成長の時間を止められた、いや厳密には極度にゆっくりと流れるよう作られた空間の中でのみ、成立している。
「子を見守る大人のまなざし」の呪縛は、その愛が強いがゆえ、にそれほどまでに実は強力だ。
しかしそんな愛が生み出す暴力性に、よつばというキャラクターが露骨なまでに抗ったのが、この15巻である。
とはいえ、そもそも子が育つ、とはそんな大人のまなざしへの抗いであるかもしれない。
この子が、ここで成長の時間を止めてくれたら。
この子が、いつまでもこの歳でいてくれたら。
そんなことをふとでも心のどこかに思わない親なんて、ぼくも含めて世に存在しないのではないか。
しかしそんな、子を見守ろうとする大人のまなざしの愛が生み出す暴力性に、呪縛に、子は抗って成長する。
その「見守り」から脱して、一人で立って、生きようとする。
だからこそ、その「成長」が価値高く感動的なのだ。
そして。
子を持ち、育てたことのある親であれば、皆が例外なく知っていることだろう。
子が親のそんなまなざしに閉じ込められている時間なんて、実はほんのわずかなひとときでしかない、ということを。
そう、よつばの時期なんて、本当はごくあっという間に終わってしまうものなのだ。
そして、そんな時間はその子においてはもう二度と返ってはこないし、一回性のものでしかない。
だから実は、よつばの時期なんて、ごく僅かなのだ。
だからこそ、その時間は大人にとって、親にとってこの上なく愛おしく思えるし、故に暴力的にならざるを得ないのだ。
つまりそんな大人にとって余りに愛おしい時期を強制的に閉じ込め、温かなまなざしを向け続けようというのが、実はこの「よつばと!」という物語、世界の構造、カラクリである。
そして「よつばというキャラクター」とは、先の通り「子を見守る大人のまなざし」の呪縛によって愛おしい時間を閉じ込めてこそ、「成長」を奪い取ってこそ成立する存在なのだ。
しかし、である。
ここでぼくらはようやく、「よつばというキャラクター」を閉じ込め縛り付けていたそんな強力な呪縛が緩み、そのキャラクターをとりまく時間がガチリと動いたことを知る。
つまり、そんな愛おしい時間に閉じ込められていたよつばもまた、いつかそこから脱する存在であることを知る。
つまりは、自らのそのまなざしの暴力性と、しかしそれに対する一人の人間としての抗いを知る。
一人、ランドセルを背負い、やがてはとおちゃんからも独り立ちしていく存在であることを知る。
そして「成長」を初めて得たよつばというキャラクターを知ることになる。
この巻の感動は、そんな大人の、親の愛ゆえの暴力性と呪縛によってこそ、生じるものなのだ。


