1989年のしょうもない春~BAD ENGLISH/”Bad English”(1989)

BAD ENGLISH/"Bad English"(1989) ヴァイナルカフェ
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ナイトメアに生きてるんだって叫びたくなるよ!(挨拶※1

そんな人のかたちをした悲しき花粉吸引器だけど、平日休みもやっぱりコオヒイひいてレコオド流して平日休みだけど休日恒例ヴァイナルカフズズズズズズZ….

BAD ENGLISH/”Bad English”(1989)

BAD ENGLISH/"Bad English"(1989)

BAD ENGLISH/”Bad English”(1989)

今朝、あれはまだ夜も開けきらぬ、5時ちょっとくらいのことだ。
ベッドルームと廊下を隔てて離れた向こうのリヴィングから響いた大きな笑い声に、ぼくはふと目を冷めさせられてしまった。
他ならぬ、うちの息子のものだ。

何せこいつときたら、こないだ大学入試を終えたばかり。
いきなり開放された彼は、しばらく封印していた任天堂Switchを揚々と引っ張り出しては、高校の友達とネットで繋がって、談笑しながら明け方まですっかり遊び呆け三昧だ。

2月下旬。
まだまだ冬の寒さが残るとはいえ、空はこの時間でもうっすらと白んでおり、足元の毛布の上にはカーテンの隙間からこぼれた微量の薄明かりがふわり乗っかっている。

春が、もうそこまで来ているのだ。
よくわかっている。何せこの鼻のムズがりようだ、誰よりもその到来には敏感だという不幸な自信感すら、ある。
そして再びキャッキャと聞こえてくる、笑い声。
あいつ、こんな明け方まで友達とゲームやってんのかよ。

ったく、しょうもないな…。

呆れ果てての溜め息交じりにもう一度目をつぶりながら、ふと思い出す。
随分前のことのはずだけど、まるでちょっと前のことくらいにしか思えない。
そんな、1989年の春。
一浪のすえに大学入学を果たしたぼくの浪人生活というのは、しかし思いの外以上に呑気でお気楽で楽しいものだった。

何せ言うても世はバブル時代だ、一億総勢皆が皆呑気でお気楽な時代の話だ。
浪人生なんて勉強しかしない、予備校は死にものぐるいの受験生ばかり、なんてイメージがあるのかもしれないが、とんでもない。
少なくとも、ぼくの周りはそうではなかった。

こいつ明らかに進学する気ないだろう、大学なんてとても行けるはずがないだろう。
あの頃にはそんな連中が、日中の予備校には履いて捨てるほどに溢れていて、だけどそういうやつらとメシ行ったりダラダラ喫茶店でダベったりレコード屋や服屋を巡ったりは楽しかったし、夜にしていたレンタルビデオ屋でのバイトも楽しかったし、閉店後に深夜で皆で飲みにいくのも最高だった。

そしてぼくの部屋には毎晩、これって受験生の部屋だっけ、ていうくらいにひっきりなしに友人が訪れては湧いていた。

自由だった。
とにかく、自由、それだけがあった。

高校という、中学よりはまだいくぼかマシな檻から出されたぼくが、その人生に初めて得たような自由だった。
こいつ明らかに進学する気ないだろう、大学なんてとても行けるはずがないだろう。
周囲からも間違いなくそういう類の連中と思われていたぼくは、浪人生という名ばかりのいわば無職なただの若者で、だけどその身に唯一持っていた暇というやつに、その自由をめい一杯しょうもなくつぎ込んでいた。

だから夜更けから明け方まで、地元仲間としょうもないことで笑っていた。
夜更けから明け方まで、地元仲間としょうもないバカ話をしていた。
夜更けから明け方まで、地元仲間としょうもない深夜番組や漫画やゲームや音楽を聴いては、しょうもない暇を費やした。

まだ向かわぬ東京から離れた北関東の田舎街に、ぼくは人生屈指のしょうもない時間をダラダラと費やしていた。
1989年の、あの春のことだ。

80年代に大ヒットを飛ばしたJOURNEYがその解散後、ギターのニール・ショーンら残党メンバーによって1989年に結成したいわゆるスーパーバンド、それがこのBAD ENGLISHである。

この米国バンドであるJOURNEYジョン・ウェイト(Vo)ら英国のTHE BABYSのメンバーが加わった構成となる英米混合陣営バンドは、1989同年、この1stアルバムによってデビューを果たした。

売れた。
話題性もあったから、そりゃ売れた。
まるで売れることを前提に結成して、売るためのものを作ったようなものなのだから、そりゃ売れた。
最終的に何万枚売りあげたかは知らないが、でもシングルヒットもガッツリ飛ばした。

しかもさすがに一流どこが予算たっぷりかけて作り上げているのだから、当然のように出来がいい。
極上の楽曲と、ソツのない演奏、甘いヴォーカル。
80年代メロディック・ハードロック、いわゆるあの時代のゴージャスメロハー最上級。そうあの頃は思っていた。

大体、A面の冒頭一発目、そのホーンサウンドとギターのカマしからしてご機嫌だ。
そしてそこからハツラツと弾むA1“Best Of What I Got”に、切なげなA3“Possession“へ。
さらにはシャープなロックソングA4“Forget Me Not”から珠玉のポップチューンA5“When I See You Smile”への流れは極上とすらいえよう。

かたやB面はしっとりとしたバラードB1“Ghost In Your Heart”から、感動的なB2“Price Of Love”が待っていて、あの頃はこの流れに心打たれていたものだ。

いわく1989年という時代が生んだ、絢爛な米英ハードロックのド傑作。
そう思って今この令和にレコードへと向かってみると、それがいかに陳腐であったか、いかになんてことのないキャッチーでベッタベタな、アメリカン・ポップロックであったかがよくわかる。

いや、ポップ・ロックなんて所詮はそんなものなのだ。
あの時代、あのリアルタイムにはたしかに輝いていたに違いないのだが、でもそれはやがて色あせて、遠い輝きへとなってしまう。そういうものなのだろう。

言ってしまえば、1989年のしょうもないポップ・ロック。
でもそんなしょうもなさが、しかしあの頃のぼくらには、それでも確かに輝いてみえたのだ。
そう、ぼくはあの1989年に、そんなロックばかりを聴いていた。

さて。
ぼくの息子は、このたび見事に大学受験に合格し、この春から大学に通うことになった。
滑り止めが全滅しかけたときにはあわや浪人組入りかとヒヤリとしたが、なんとか現役生のまま無事に志望校への一発合格を仕留めてみせたのだから、一浪した親のぼくよりは遥かに上出来というものだ。
(しかもぼくの出た大学よりもワンランク上ときた)

かくして晴れて自由を認められた身となった彼は今、毎晩の夜更けから明け方にかけてをしょうもなくダラダラと費やしている、というわけだ。

ただし平成初期のぼくら昔と違って、今はネットがある。
だから自宅でも、地元仲間と繋がれる。
そこで彼はここ毎晩、彼ら友人としょうもないバカ話をして、しょうもなく笑い転げて、今その身に唯一持っている暇とやらにその自由をめい一杯しょうもなくつぎ込んでいる、というわけだ。

そんなしょうもないことが許されるのは、春しかない。
大人ならみんな知っていることだ。
なぜならあの春は、青春は誰にとっても、しょうもないものだったからだ。

よかろう、ならばせいぜい、つぎ込むがいい。
つぎ込んでつぎ込んで、つぎ込みまくるがいい。

どうせそうやっているうちに春は終わって大人になって、そしてやがては今のぼくのように、お前が今やっているそれがまるでちょっと前のことくらいにしか思えないおっさんになっていくのだ。
せいぜいしょうもない短い春を、この上なくしょうもなく楽しむがいい。

ぼくは再びベッドに潜ってまどろんでは、リヴィングから未だ聞こえてくる笑い声にあの頃のしょうもないぼくの春を重ねながら、ふと思うのだった。
そうだ、今日また目が冷めたらあの1989年の春に聴いた、あのレコードを流すとしよう、と。

2023年、2月下旬。
春、遠からじ。

 

※1:YUIはそんなこと歌わない

BAD ENGLISH/"Bad English"(1989)

BAD ENGLISH/”Bad English”(1989)

DATE
  • アーティスト名:BAD ENGLISH
  • 出身:US,UK
  • 作品名:「Bad English」
  • リリース:1989年
  • ジャンル:HARD ROCK, AMERICAN HARD ROCK, 産業ロック,AOR

 

ヴァイナルカフェとは
近年やっとアナログレコードにハマった超絶情弱時代乗り遅れ管理人、黒崎正刀が、休日の朝に趣味でコオヒイをひいて、その日の気分で持ってるレコオドを流し、まったり鑑賞している間にゆるーくSNSなどで書いているものを、こちらのブログに転用したもの。
よって、そのほとんどが70~80年代の古いものばかり。
尤も音楽批評というかしこまったものよりは、大概がただの独り言程度のたわいない呟きなので、ゆるーく本気にせず(笑)読んでいただければ幸いです。
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