DREAM THEATER/「Lost Not Forgotten Archives: Master Of Puppets -Live In Barcelona, 2002」:87p
さて、諸君。
冒頭から、いつになくかしこまっているのには、当然ながら理由がある。
というのも、非常に恐縮であるのだが、ここで重大な話をしたいと思うのだ。
実は今日はまず諸君に、驚愕の事実を教えようかと思っている。
それも、ほとんど世の多くの人が知らない、ある恐るべき、しかしれっきとした揺るぐことのない真実、である。
そもそも、常に「真実」というのは、得てして理解されないものだ。
何故か。
そこにいないからだ。
それを見ていないからだ。
でも見ているものからすれば、これは見まごうことなき「真実」なのである。
…と、一応、そういう前置きを、しておこう。
じゃないとおそらくは、その「真実」を理解出来ない、と思っているからだ。
だから、ぼくがこれから言う真実に対しても、もしかしたら、その意味が判らない。
そういう反応が多いのかもしれない。
というか、多いというより、それが大半であるのはよもや仕方がないことなのだろう。
しかし、だ。
それでも声を大に言いたい。これは本当の真実である、と。
そしてそれを伝えることは、それを見てきたぼくがすべき義務ですら、使命ですら、あると思っている。
だからこそ。
それを特別に、これを読んでいる諸君にだけに、ここでこっそりと伝えるとしよう。
さあ、心の準備は出来ただろうか。
では、そろそろ、重い口を開くとしよう。
なんと。
驚くことなかれ。
実は、
METALLICAの「Master Of Puppets」というアルバムは。
スラッシュメタルにとって、とってもスゴイアルバムなのだ。
なんだってー!?!?
マジかよ!
マジなのかよ!!!!
どういうことだ、クロサキ!!!!
と、やもすればそんな心の中のマガジン編集者達の戦慄と驚愕の反応が、ぼくの中ではリフレインしているのだが、しかし。
それでもこれは、やはり揺るがざる事実なのだ。
……え?
知っている?
それがどうした、だって?
嗚呼、成程。
そうか、そうか。
うん、あはは、そうか。そりゃー、そうか。
いや、でも違うんだわ。
全然、違うんだ。それじゃー、ないんだわ。
だって、それは「知って」いないんだ。
「知らされて」いるだけなんだ。
つまり、ぼくがここで話している「Master Of Puppets」は、諸君が知っている、ロックの歴史のアーカイブにホコリを被って額縁の中に飾られているそれじゃないんだ。
やれロックのマスターピースだの、メタルの殿堂入り傑作だの、普及の名作だのと、そうやってしたり顔や訳知り顔で偉大なる何某かとして扱われている、どうやらスゴイものらしいと丁重に扱われてきたその「Master Of Puppets」の話では全くないのだ。
あの時代に、一番激しくて、一番トンガっていて、一番クールだったヘヴィメタルのその最先端にあった、最高に激しくトンガってクールな存在だったスラッシュメタル。
その中から出てきた、ガチゴリにリアルでスゴかった「Master Of Puppets」の話をしているのだ。
曰く、「Master Of Puppets」とは、スラッシュメタルの、バイブルであった。
はい。
重要センテンス、出たこれ。
せっかくなのでこのブログで初めて使った機能を使って強調しときたい、そんなくらいにこれは重要センテンスだ、よいしょ。
- 「Master Of Puppets」とは、
- スラッシュメタルの、
- バイブルであった。
そう、これはまさに、80年代リアルタイムスラッシャーにおいての共通言語であった。
スラッシュメタルの、前提条件であった。
スラッシュメタルの、一般常識であった。
がゆえに、スラッシュメタルの、バイブルとなった。
さて、ここで幾つかあるポイントその1。
そのまず1つめは、3の「あった」が過去形だということだ。
事実、「Master Of Puppets」は、当時最も尖っていた激しくてイケてた「スラッシュメタル」において、前人未到の域に誰より先にその旗を立て、その地位を確立させてみせた、孤高の金字塔だった。
しかし、ここで問題だったこと。それは、金字塔ってのは、建てられたらあとはもうみんなの目指し群がるものとなる、ということだった。
アイコンになる。
つまりは、「ベタ」になる。
自意識の発露アイテムとなる。スラッシュ自意識の処理物になる。
結果、ただのマスターベーション玩具、要はオナホとなる。
結果、「バイブル」はただの「バイブ」に頽落する。
そして、次にやがて2が喪失される。
2であることの意味が、失われる。
つまり「スラッシュメタル」が、ぼくらの激しいメタルでは、なくなる。
そして皆も知る通り、スラッシュメタルは90年代には時代遅れの、トレンド落ちの旧式ロック属性になって、やがて化石になって埋もれて、発掘されて、しかしその先鋭性は削られて、そしてやがてはこのようにやれ偉大らしいというアーカイブの1つとして博物館に飾れられる、ロック考古学的遺産となっていくのだった。
さて。
それらの結果、本来は「スラッシュメタルにとって、とってもスゴイアルバム」だったはずの「Master Of Puppets」はどうなったのか。
まずは老人以外の誰も「Master Of Puppets」を、「スラッシュメタルにとって、とってもスゴイアルバム」だと思わなくなった。そういうことをリアルに実感出来なくなった。
結果、THE BEATLESのアレだとか、LED ZEPPELINのソレだとか、そういうアルバムと同列に陳列されて飾られているものとなった。
ぼくが冒頭で言ったのは、そういう意味だ。
そして、それがどう書き換えられたのか。
先のセンテンスを、用いてみよう。
- 「Master Of Puppets」は、
- 前時代メタルの、
- オナホとなった
はい。
お待たせいたしました。
長い前置きが、ここでやっと終わりました。
さあここからが、本当の、本当の、今回の本題でーす。
月刊どりむしの新刊、今月10月号はなんと。
そんなMETALLICAの金字塔とやらであり、なんでもスラッシュメタルとかいうもののバイブ、じゃねーやバイブルであったと言われている”らしい”、ロックアーカイブの1つ「Master Of Puppets」の再現ライブ音源であるという。
えー、ドリムシが、あのMETALLICAの、しかも「Master Of Puppets」を全再現するの!?
そんな感覚を、一体ぼくらはいつから失っただろうか。
一体いつから、それを「ふーん、あっそう」と、思い流せるようになってしまったのだろうか。
つまりは一体いつから、それを「スラッシュメタルのバイブル」と思わなくなったのだろうか。
このライブが行われた2002年か。
いや、もっともっと遥かに前のことだ。
じゃあ「Images & Words」の1992年あたりか。
そう、おそらくはそのあたりのことだ。
「RUSH×METALLICA」。
懐かしいキャッチコピーだが、そう言われてドリムシが世にデビューしてきたころ、ぼくは思っていたものだ。
「おいおいこれのどこがどうMETALLICAなんだよ、スラッシュメタルなんだよ」と。
あの頃は確かにそう思えていたのだから、きっとその後のことなのだろう。
とはいえ、そう言われてきたドリムシのことだから、彼らにおいてMETALLICAという存在がそれなりに重要なことだって、そりゃあよく知っている。
当然ながら、「Master Of Puppets」だって重要なのだろう。
で、その上で、この企画をやっている。
それもわかる。
でも、もう一度言う。
- 「Master Of Puppets」は、
- 前時代メタルの、
- オナホとなった
そういう感覚しか存在しない今。
そもそも彼らにおいて全く関係性のないバンドであるMETALLICAの、あの「Master Of Puppets」の再現ライブを、わざわざ音源を起こしてリリースするということ。
そこにあるものは、もはやかの「Master Of Puppets」のその再現では、ありえない。
だから見たまえ。
ロックの今や遠い遠い歴史の中の欠片となった「Master Of Puppets」を、旧態然たるプログレメタルの筆頭が嬉々としてライブで再現している。
そのさまに、ふと思う。
果て彼らは一体、ここで何を再現しているのだろうか。
ここに再現されているものは、一体なんなのだろうか。
ここに再現されているものを、今ぼくらはどうやって眺めるのだろうか。
ここに再現されている「Master Of Puppets」なるもの。
それはやっぱり、前時代メタルのオナホ以外の、何者でもない。
これはやっぱり、マスパペとかいう前時代メタルのオナホだ。
「マスパペ」とかいう「マスタベ」だ。
だからこそ、少しばかり悔しいからぼくはもう一回だけ、そこに大声で言い返してやりたいのだ。
実は、METALLICAの「Master Of Puppets」というアルバムは。
スラッシュメタルにとって、とってもスゴイアルバムなのだ、と。
………と。
ここで終わらせるつもりだったのだけど、少しだけ他愛もないメタル村老人会のお茶飲み話をしておこう。
さて、そんな「マスパペ」だ。
そんな「マスタベ」だ。
だからして、それではあの「Master Of Puppets」をドリムシがやるっていうのに、興奮しない、あるいは反応しない村民がいるというのも、これもまた思えない。
それもまた揺るぎない事実であるだろう。
だって、長らく愛用してきた、前時代メタルの我がオナホ、である。「マスタベ」である。
自意識のちんこをどうしごけば気持ちいいかなんて、自分がよーく知っている。
そんなオナホをドリムシで、しごくのだ。
ありえない、リズムのタイトさ。
ありえない、ギターのシャープさ。
ありえない、ヴォーカルの柔らかいエモーション。
ありえない、鍵盤の駆け巡り。
ありえない、実はそんなに愛情や愛着のなさ。
そしてぼくらは知っている。それらが、みんな十分にドリムシなら、「ありえる」ことを。
十分にありえることを知ってて、そのカッコ付きで知ってる「ありえなさ」を刺激にオナホで、自意識をしごいている。
「Master Of Puppets」という前時代メタルのオナホで、しごいてる。
でも、だからそこが、気持ちいい。
だからそこが、楽しい。
そうだ、オーケー、判った。そのとおりだ。
もういい加減に、認めよう。
これは、とどのつまりに、そういう類のオナニーアルバムだ。
だからぼくらはこれが、とてもすごく楽しいのだ。
そしてその楽しさには、困ったことにやはりどうやったって抗えないのだ。
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