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今週のヴァイナルカフェ:JOURNEY/「Frontiers」(1983)
映画「マッドマックス怒りのデスロード」に、こんなシーンがある。
過酷な生活を強いられてきた砦の民達が、どこかにあるであろう砦の外の理想郷を求めて旅立とうとする。
そんな彼らに、主人公のマックスはこのような趣旨のことを容赦なく、言い放つのだ。
「そんな理想郷は、この世のどこにも存在しない」と。
また、漫画「進撃の巨人」には、こんなシーンがある。
巨人達がいる壁の向こう側の更に先には、海というものがあって、その海の向こうには自由がある。
そう信じて巨人達と生死を掛けた壮絶な戦いをこれまでしてきたエレンら主人公達であったが、しかし。
本当に海を前にしたとき、そんなものが本当はないことに気付き、呆然とするのだった。
これらに共通して象徴され、描かれていること。
それは「ここではない何処か」という理想郷なんて、存在しない、ということだ。
ハイデガーが理性の罪として説いたように(※1)、得てして人は理知的であるがゆえに、人が生きる「ここ」ではない理想郷、「ここではない何処か」をときに夢想するものだ。
しかしマックスやエレンが言うように、そんな理想郷たる「ここではない何処か」なんて、この世には都合よく存在なんてしない。
あるのはただただ過酷な、現実の「ここ」だけ。
これこそが、2022年というポストモダンの時代を生きるぼくたちの、残酷な世界の現実なのだ。
「Frontiers」。
「産業ロック」とこの当時は揶揄されたというJOURNEYのこれは、1983年に出された8作目のスタジオ・アルバムだ。
前作「Escape」(1981年)が売れに売れまくり、ものの見事に全米一位を獲得。
更には英国でも初のチャートインを果たし、彼らは世界中で1,000万枚以上を売り上げる快挙を成し遂げる。
まさにバンド最大のヒット作となったわけだが、その「Escape」の勢いを受けながら1983年という時代に放たれたのが、この「Frontiers」というアルバムだった。
「Escape」程までは至らなかったが、とはいえ「世界のJOURNEY」となった次のアルバム、そりゃあもうそれなり以上に十分ヒットした。
80年代という新たな時代が浸透するなか、70年代ハードロックをポップにブラッシュアップするという彼らの戦略は、いまだこの時代に受け入れられることが出来た。
しかし全米1位を目前にした彼らの前にに立ちふさがったのがマイケル・ジャクソンという、80年代ポップを代表するさらなる超巨大モンスター。
そう、かの化け物アルバム「Thriller」が彼らの躍進を許さず、君臨。
結局このアルバムは全米トップを飾ることなく、2位にとどまり終わることになるのだった。
1983年。
今から40年近くも昔。
「ここではない何処か」に新たなるぼくらの理想郷、「フロンティア(Frontiers)」がまだ残っている、とこの日本というぼくらの国でもイノセントにうっすらと、そう思われていた時代の話だ。
さて、ぼくらはあれからどう歩んできたのだろうか。
熱狂のバブルをひた走り、その熱狂のぶんだけバブル崩壊で失って、その失われた10年、20年の闇をどろどろになりながら進み、開けた新世紀では震災と原発事故という人災で自業自得の火だるまになり、そして新型コロナのパンデミックでうちに籠もり、はて気がつけばこの国はもうズタボロに疲弊し尽くしてしまった。
でその結果、この国は一体どうなったのか。
皆が幸せだなんてとてもじゃないけど言えないような、そんな息苦しい社会だけがそこにあって、そしてぼくらはもう少なくともこの国の中には最早希望だなんてどこにもないことを子供までもが知るようになってしまった。
誰もが幸せに生きれる、そんな新たなるぼくらの希望の「フロンティア(Frontiers)」なんて、少なくともこの日本という国の中に、この社会のコミュニケーション空間の中にはもう存在しなくって、最早自分以外の全てが敵ばかりとなったシステムの中でぼくらを脅かすような不安から、いかに「エスケイプ(Escape)」して生きるかしか残るすべがない。
絶望した、閉塞大国ジャパンに、絶望した。
そんな時代を、2022年という鬱屈とどん底の時代を、ぼくらは生きるしかなくなってしまった。
これこそが、ぼくらが生きる今「ここ」のリアルだ。
では、ぼくらはこれから、どう生きればいいのか。
どうすれば、このような閉塞した現実の中で幸せに生きれるのだろうか。
恐らくは、こうだ。
過酷な現実の中に、砦の中に、壁の中に、「ここ」に生きることの幸せを探せ。
例えば、家族。
例えば、仲間。
例えば、友達。
例えば、恋人。
例えば、地元。
例えば、趣味。
例えば、そんなコミュニティ…。
そんな「ここではない何処か」ならぬ、今「ここ」にある幸せ。
「フロンティア(Frontiers)」なき今、過酷な現実がもたらす不安からエスケイプ(Escape)して、「ここ」に逃げよ。
これだけがそこに残された、ただ一つの処方箋だ。
そうなのだ。
「ここではない何処か(JOURNEY)」、なんてハナから存在しない。
そして最早、この現代日本という社会の中にはぼくらの新しい希望の場、「フロンティア(Frontiers)」すらも、存在しない。
だけど、いやだからこそ。
過酷な現実から「エスケイプ(Escape)」して、「ここ」という幸せに生きよ。(※2)
1983年というはるか昔から届くポップは、それだけを今、この2022年という暗澹を生きるぼくらにひっそりと伝えてくれる。
注釈※1:「ここではない何処か」を求め出すと「ここではない何処か」に行ったとしてもそこでも「ここではない何処か」を求めるからキリなくね?だからそれ許すような近代ってガチやべんだよ、という話を死ぬ程難解に解説しやがった、昔のドイツのクソ頭いいマジキチ変態。
注釈※2:要するに、いわゆるところの「終わりなき日常を生きよ」20年代アップデート版、すね。
- アーティスト名:JOURNEY
- 出身:US
- 作品名:「Frontiers」
- リリース:1983年
- ジャンル:AOR/産業ロック、HARD ROCK、
よって、そのほとんどが70~80年代の古いものばかり。
尤も音楽批評というかしこまったものよりは、大概がただの独り言程度のたわいない呟きなので、ゆるーく本気にせず(笑)読んでいただければ幸いです。